MEMORY創業者の想い
新聞の世界に足を踏み入れ、昭和35年3月3日に柳原新聞店を創業した柳原昭(故人)。平成16年4月より平成17年7月に掛けてのインタビュー、「業界50年の歴史」。思い出のインタビューを掲載しております。
柳原新聞店では、他の新聞店では真似を出来ない程の様々な行事やイベントを行っています。そのきっかけとなったのが、今からちょうど10年前に溯るのです。
中日東海本社から受けた影響とは。
昭和40年代に入ると、薬師町に中日東海本社が設立されました。読売新聞社は「巨人」、そして中日新聞社は「中日」の球団を利用したサービスをお客様に展開している。中日新聞社の営業力はどんどん勢力を増してきました。
それに対してうちは何のサービスもない。何とか「店の特徴」を打ち出して、お客さんの「固定化」を狙いたいと考ました。
毎日ビジネスサロンの誕生。
毎日新聞社も新聞の部数に限界を感じているようでした。そこで立ち上げたのが、毎日新聞社開発推進本部による「毎日ビジネスサロン」。
これは、新聞店が新聞販売業だけでなく、あらゆる方向へと発展する可能性を信じ、異業種とのビジネス交流を深めたものでした。「店を多くの人に知ってもらう」「名前を世間に売る」「店の存在感を高める」ことを目的に、新聞店に勉強の場を提供してくれましたね。私は積極的にこのサロンの参加へと動きました。
初の単独イベントは城北店のオープニングイベント。
推進本部から来浜し、「地域との交流」「柳原新聞店を知って頂くための手段」等、様々な指導を受けました。 地域の人たちに向けたイベントの「初」となったものは、平成4年10月24日「城北店オープン記念、感謝のつどい」。城北本店の新社屋の完成の式典を地域の人にも祝って頂いたのです。
旧事務所2階をコミュニティールームとし、ビジネス講演会『バブル崩壊後のビジネス社会生き残り術』(講師、毎日ビジネスサロン幹事長水野勝弘氏)には24名が参加。今でいう「毎日文化サロン」の前身です。他にも北大路魯山人レプリカ展、有名ブランド腕時計フェア…。一日70名様を限定としたタロット占い館は行列ができる程の大盛況でした。
様々なサービスが今始まりました。
地域との交流を強めるために「メッセージメイルエム」というミニコミ紙の発行も始めました(平成5年6月創刊)。読者の皆様から届く「譲ります」「譲って下さい」「おめでとう」とメッセージを一同に掲載したもの(エムズニュースの原点ですね)。
他にもカスタマーレディの採用、毎日文化サロンの定期開催、そして、独自で考え出したのが今展開しているエムズ倶楽部。
お客様の為に…と、毎日新聞社のビジネスサロンから学んだノウハウ、そしてその延長が、今もなお立派な形となっていることには満足ですね。
他店にはない特色を持ち、他店以上の社員の質の向上は、私が新聞販売業を始めた当時の予想を遥かに超えた喜びを味わわせて頂いています(笑)。