MEMORY創業者の想い

新聞の世界に足を踏み入れ、昭和35年3月3日に柳原新聞店を創業した柳原昭(故人)。平成16年4月より平成17年7月に掛けてのインタビュー、「業界50年の歴史」。思い出のインタビューを掲載しております。

創業者の想いのイメージ

第8回(平成16年12月号)

支店が8店に増え、新聞店が順調に動き出した中で、折込業界に進出することを決意。自社の利益だけではない「お客様のためにも、今の現状を変えなくては」との思いからでした。

新聞店の最大の収入と見込んで。

江崎、清水との勉強会の中でも話題に出始めていました。「これからの新聞店の最大の収入は折込手数料になるだろう」と。

当時は、すでに中日新聞系や読売新聞系が新聞社独自で折込会社を設立していたんです。いずれ新聞社が折込業界を独占する時代がきたとしたら、新聞店に届くチラシの量に差がでるだけでなく、新聞社に手数料も払わなければいけない。3社の中、一番最初に折込業界に名乗りを上げたのが清水新聞店でした。静岡新聞社に許可を得て、「折込業は我々にお任せ下さい」と宣言したのです。 柳原も、新聞店だけで満足するのでなく、手を打たなければ、と焦りました。

第一歩は一貴氏(社長)の修行から。

折込業界はズブの素人ですよ。だから、すべてを長男である一貴(現社長)に任せようと決めました。

大学を卒業したばかりの身を、茨城県に送りだしたのです。西村さんが折込会社を始めると聞いた。彼は毎日新聞販売局次長を退職したばかりで、この地を選んだのも、かつて営業で活躍した土地だからだという。

『茨城クリアーオリコミ』と社名を掲げ、土浦阿部新聞店の軒先を借りて、机一つの会社をスタートさせました。浜松から飛び出した見も知らぬ土地。折込業界とは何か?ゼロから始めるにはどうするのか?広告主、代理店、印刷会社を駆けずり回って、地盤を作らなくてはいけない。

西村さんの仕事ぶりを真似て、体で仕事にぶつかることを学んだようでしたね。営業やトラックの配送と、折込業務のすべてを経験して、浜松に帰ってきました。

「東海オリコミ」誕生へ。

柳原新聞店の2階を拠点として、事務員・営業共に1人、運転手がたった2人、という会社が始まったのです。

今度は折込営業の毎日が始まりました。当時はイトーヨーカ堂、ジャスコ、長崎屋等、大手スーパーの開店という盛期の頃。地元の百貨店を始めスーパーへの交渉、名古屋方面への営業に、と奔走しました。

チラシは黙っていても届くから、とドンと構えている他の新聞店に対し、事業をもっと展開していかなければ、と積極的に動き、東海オリコミに次なる夢を掛けましたね。