MEMORY創業者の想い
新聞の世界に足を踏み入れ、昭和35年3月3日に柳原新聞店を創業した柳原昭(故人)。平成16年4月より平成17年7月に掛けてのインタビュー、「業界50年の歴史」。思い出のインタビューを掲載しております。
曵馬店、佐藤店へ。
販売エリアの拡大にともない、曵馬店を開店させました。電車通りの拡張に全力を上げようと考えたんです。続いて佐藤店。店舗が増えれば増えるほどお客様は増えました。「お客様との距離が近くなる」んですから。
配達のルートが確かとなり、新聞配達の基本である「早いお届け」や「決まった時間の配達」ができる。読者の要望にできる限り応えられる新聞店作りに努めましたね。
中心部に店がない弱味を克服した栄店の誕生。
毎日新聞社浜松支局の斜め前に栄店を開店させたのは、中心部の読者を獲得するためでしたね。着々と他の新聞店に対抗し、拡大綱を広げていきました。
昔は、どの支店にも宿直室を構えていたんですよ。従業員やその家族が住んで、電話番や不着、誤配に対応するんです。 早朝から深夜に及ぶ区切りない労働に「家族も休まらない」と廃止し、一気に本社の集中管理に変えました。
不着、誤配をゼロにするには「初心忘るべからず」。
支店が、そして従業員が増える。その中で、お客様への「不着、誤配」までも増加していったら意味もないんです。物によるサービスではなく、心を込めた配達をすること。「不着、誤配ゼロ運動」をやったりもしましたね。何気ない不注意にこそ気をつけてほしい、と。
徹底した配達法を守ればミスは起きない。自分の体験を元に、ルールを作りました。
- マネージャーが紙分けを行うこと(予備紙1部プラス)。
- 担当者は順路帳通りに組み順路帳通りに配達すること。
- 支店に戻ったら、すぐ余った紙を確認すること。
- 余った紙に間違いがあった場合、順路帳を見れば自分のミスにはすぐ気付く。
当然のことばかりでしょうが、仕事に慣れてくるとついつい疎かになってしまうもの。入社した時の真摯な気持ちをいつまでも忘れずに、お客様と触れ合って欲しいと思いました。